2019/6 インド・ガンジス河の旅・ガンゴトリ〜ゴームク

2019年6月、ガンジス河の神さま・マザーガンガに絵本「もったいないばあさん かわをゆく」完成のご報告とお礼のため、再びインドへ。

川を舞台にしたもったいないばあさんの新刊絵本は、2018年1月に、ガンジス河の名前が始まる場所・デバプラヤッグから、河口のガンガサゴールまで旅をしたことから発想を得て、作ることができた。水の循環、命のつながりをテーマにしている。今回は、そのとき雪に閉ざされて行くことができなかった源流部へ。川の赤ちゃんが生まれるところを目指して、ヒマラヤ山脈にむかった。

 

2019/6/19
Narita to Delhi 成田からデリーへ。

夏のデリーは摂氏50度になることもあると聞いてこわかったけど、この日は、「比較的すずしくて38度です」ということだった。50度になると、省庁やお店を閉めなければならないそうで、ほんとは50度でも48度ってことにしてるんじゃないか、と思われる時もあるそうだ。

翌日からの旅に備えて、デリーのホテルで早めの就寝。
ホテルのタペストリー。私のインドの旅は、いつもこの絵で始まるなあ。

 

6/20
パンダさんが迎えにきてくれて、空港へ。そこで旅の友プジャとはじめまして。
Delhi to Dehradun デリーからデラデューンへ飛行機で1時間、
Dehradun to Uttarakash  車に乗り換えてウッタラカシへ、7時間の長い旅

  

Uttarkash に向かう途中、山全体がだんだん畑で、ピラミッドみたいなすごい景観があらわれた。

日本では見たことないような、変わった形の松の木がたくさん生えていて、パンダさんによると、これはイギリスが山の上から松ぼっくりをばら撒いて松だらけになったのだそうな。このあたりは昔、アーユルヴェーダなどにも使われる薬効のある植物がたくさん生えていたので、インドを植民地にするために、豊かな文化や知恵をこわそうという目的で、他の植物を育たなくする松をまいたのだとか。昔インドにきたイギリス人がみたのは、泥棒も貧しい人もおらず幸せに暮らす人々の姿で、それをこわして支配するために考えられたという。。。江戸時代の日本を見た人も、同じようなこと書いてたような。

 
旅の友だちパンダさんとプジャと峠のチャイ屋さんで

 

 
やっとたどりついたUttarakashのホテルで遅い晩ごはん。聖地に近いところ、山の上にむかうほどベジタリアンのごはんになっていく。ダル(お豆のカレー)とチャパティとスイカ。

プジャにチャパティはいつもだいたい何枚くらい食べるの?ときくと、4枚とのこと。

このホテルでの朝ごはんに、プハpohaという炊き込みごはんっぽいカレーピラフがでてきたが、インドの典型的な朝ごはんのひとつなんだそう。
バタートーストとチャイが美味しくて、4枚もたべた。といっても、
うすくて4分の1に切ったものだから、全部でパン1枚。

 

6/21
Uttarakash to Gangotori
ウッタラカシ在住のガイド、ディネシュさんと合流して、いよいよ源流の山村・ガンゴトリヘ出発。車で2時間半〜インドはとにかく移動に時間がかかるのだ。

 
この日はまだ登山靴じゃなくて長靴。ウッタラカシ出身のプジャは、子どもの頃自分も段々畑で草を刈る手伝いをして、その時は、このだんだんは自然にできた階段だと思ってたんだって。

 

 

パンダさんとプジャとディネシュさん、シバ神の前で。お寺の前でお供えを買う。

 

標高1500メートルのウッタラカシ
Vishwa earth シバ神のお寺という意味のお寺に立ち寄った。
Vishwa earth:Rath守る人=earthを守る人=シバ神
シバ神は名前がたくさんある。「神さまの中の神さま」という名前も。

シバ神の前には必ず牛がいて、牛の耳元に願いをささやくと叶うという。
私も、こちらに来られたこと、本ができたことのお礼と、世界の人にもメッセージを伝えたい、と伝えた。言葉は何語でも通じるのだと。
このお寺は、近年、インドに12あるシバ神の象徴である「ling」のひとつになったということだった。ling とは、シバ神をあらわす男性器の形をしたもののこと。
バラナシのlingが水かさが増してか傾いてか見えなくなって、その代わりとして、ここのlingがインドを代表する12のシバ神のlingとして選ばれたそうだ。

 

 
道すがらのいろんな景色。こんな山の中でも、崖の上からおりてきた牛がゴミをたべようとしてる。。
ゴミ置場でなにもかもいっしょくたに燃やされている光景も。

  
羊が段々の崖に器用に立っている。紫色の花が満開の木の下に、めずらしい形の実。

 


ダルとチャパティ、とライスのランチ。チャパティは、ロティともいう。私のために毎回ライスも頼んでくれてると思ってたんだけど、パンダさんも、よくライスを食べるオリッサの出身なので、子どもの頃からライスを食べないと食べた感が… ということだった。山登りの前なので大事をとって、油少なめ、塩も辛いのも控えめにしましょうと、デリーで食べるよりも、かなりさっぱりした味だった。
奥に座っているのが今回のドライバーさん。運転上手く感じよくまじめで、私が今までインドを旅した中で出会った、ベストドライバー。

 

ランチのあと、りんご畑まで散歩しようとディネシュさんが案内してくれた。村の人たちみんな知り合いみたい。


お米を測ってる。おもりが石。写真撮っていいかきくと、おじさんがこれが5キロ、これが20キロだよと、石を指して教えてくれた。なんだかほのぼの、かわいいおもり。
これがインドです、とパンダさん。
このお米やさんは、fair price shopとよばれ、政府から委託されて、貧困家庭のためにとても安くお米や麦を販売するところ。

 

 

そこに可愛いトラックがロバをのせて走ってきた(写真とれず)。
トラックがいちいち可愛らしい。どこをとっても映画になる。
それもインド、と思った。

 

 
政府のゲストハウスがあり、入らせてもらった。お花畑。
珍しい高山植物のお花も咲いている。
入り口の背の高いのは、メディカルプラントで薬になる、とディネシュさん。
根っこを切って背中にはると、痛みがとれる。

 

 
さらにガンゴトリに向かう途中、きれいな滝があって、写真撮ってたら横からいい匂いがしてきた。小屋から出てきた若い男の人は、28歳の警察官Anshul Sainさん。夏の間、ガンゴトリに来る人が増えるので、6か月間ここに駐在している。ハリドワールに、1月に結婚して妊娠中の奥さんがいる。と、3分くらいの間にたくさん教えてくれた。中にもう1人アシスタントのおじさんがいて、別のもう1人のアシスタントと3人体制で守ってる。電気はソーラー発電の小さなパネルで、土砂崩れがおきたらトランシーバーで連絡とりあう。「いい匂いですね」というと、あと少ししたらダルができるから食べていく?と聞いてくれた。いえいえといったけど、そこで「ありがとう」といったら、ほんとに食べさせてくれる、これがインドです、とパンダさん。

 

標高3415メートルのガンゴトリに到着!

以下写真なしだけど、
この日の晩御飯は、チャイニーズ。
ハッカヌードルのような、でもあまり美味しくなかった。
マンドゥーは、ソイミート団子のタマリンドソース(トンカツソースと同じ味)
これはたこやきや!と思う。レストランに子ども?と思われる子が働いてて、何歳と聞くと15歳。。夜の10:30晩ごはんはまだ食べていないと言っていた。
ここでパンダさんとディネシュさんからきいたこと:
神に近づく方法はいろいろある。
ヨガ、瞑想など
ジャパ: 神さまの名前を言い続けること。
マントラを唱えると、そのうち自分の存在を忘れて無になる。それと同じように、神様の名前を言い続けることで、 自分を無にし、神に近づく方法。
他にも、神様の名前を、同じ文字同じ大きさ同じように、何回も何回も書くこともある。

インドでは、山には8億3000万の神さまがおられると言う。

 

6/22
ガンゴトリ・マザーガンガテンプルへ。
アールティ(神さまの儀式)で、マザーガンガにプジャ(祈り)を

川の本ができた感謝を捧げ祝福を授かった。
お祈りの最後や途中で、皆で手をあげて、ジェイという。
ジェイは、マザーガンガばんざいという意味の掛け声。それぞれの神さまの掛け声がいろいろあるそうだ。ハレハレマハデブは、シバ神ばんさい。この掛け声は、山道で人とすれ違う時にも使われる。

 

 
写真は、前日の夜のアールティ。お坊さんたちが祈りの歌を歌っている部屋で、お寺の責任者にごあいさつ。アコーディオンみたいな楽器は、ハーモニウム。
パンダさんがもったいないばあさんと川の本の説明をしてくれて、なぜここに来たのかお話ししたら、とっても喜んでくださった。そして、翌朝のアールティで、参拝の人たちの前で読み聞かせをすることになった。

 

 

 

責任者バラモンのスレシュさんは、植物学の博士。
おじいさん、お父さんのあとをついで、このお寺にきた。ガンゴトリは特別な場所だから誇りに思っておられますかときいたら、もちろんとのこと。息子はつぐかわからない、でもファミリーが300人くらいいるから、親族のだれかがつぐだろうと。
朝のアールティで、スレシュさんがプジャをしてくださり、もったいないばあさん(人形)のおでこにも、印をつけてくれた。おちゃめだ。そのあと、参拝に来られた方々の前で、マイクを持って絵本の読みきかせ(by パンダさん)と私もちょこっとご挨拶させていただいた。

 

インドの人は、受容力がある。
外国人の私の話にも耳を傾けて、よいと思えば共感して喜んでくれる。ゴームクの環境活動をしている人が、パンダさんの読み聞かせに合わせて、「もったいない!」と大きな声で言ってくれて、私にサインしてとメモ帳を出してくれた。
これもまたインド。

一方で、人が話してるのに目の前を横切ったり、歩きながら、絵本の前で立ちどまったりする人もいる。絵本を前で見たいからではなくて、たまたま自分の歩いている途中で立ち止まったところが絵本の前だった。読んでいる人の目の前に立つというのは、まったくまわりを見ていない。配慮がない。気にしない。そういうのも、またインド。
インドに来ると私はいつも、日本で気にしていた細かいことが、どうでもいいことだったように思えてくる。気遣いして疲れていたことが、なんであんなこと気にしてたんだろうと、アホらしく思えてくるのだ。

 

マザーガンガテンプルの中のマザーガンガは金色のお顔をされている。
前日の夜、お坊さんが歌っておられたお部屋では、黒いお顔のマザーガンガの像があった。
なぜ?なぜ色が違うのですか、とスレシュさんに伺うと、
何色かは、できている石による。神さまの顔は誰も見たことがないから、黒でも赤っぽくても金でも構わないのだと。
なんだか、フトコロの深い「これもインド」と共通のなにか、
世界の人々、いろんな顔の色があるけど、そんなことは問題ではない、と言われたようなかんじ。

インド料理はシェアしていただくことが多い。カレーもチャパティもライスも。譲り合っていただく。もしかしたらインドの人たちは、そんなふうに食べものをシェアする食べ方によって、人を思いやる気遣いを幼い頃から学んでるのでは。。。と思うんだけど、
一方で、人のことは気にしない、気遣いのない自分勝手な一面もあるのは、
どこがちがうんだろう。不思議なインド、それもまたインド。

このお寺は、冬の間雪で閉ざされるため、11月から4月はクローズされる。お坊さんも参道のお店やホテルの人たちも、みんな山を降りて、別の場所へ。

 

朝ごはんは、ホテルで
ポテトパラタ(中に具を入れたチャパティ)とライタ(ヨーグルトとチリとニンブーとコリアンダーのソース)。
ダルは?ときくと、ダルとパラタはあまり一緒にたべない、パラタは、漬物ピクルスとたべるそう。いままで私は、ダルとパラタの組み合わせが一番すきで最高と思ってたのだけど。。

朝ごはんのあと、
パンダさんの亡くなったおじいさん、おばあさんのご供養にまたお寺へ。ガンジスのほとりで儀式が行われた。インドの人たちが天国に行くと信じてる方法だそう。

 

夕方、ガンゴトリをおさんぽ〜翌日のトレッキングに備えて、山道を少し慣らし歩く。仙人のように一人で修行するサドゥーを訪ねて、山の祠へ。
サドゥーは皆一人で暮らす。白い灰を身体中に塗ったり、はだしだったり、特殊な風貌のサドゥーは、デリーの街中では会えないけど、ガンゴトリやゴームクにはたくさんおられる。

 

6/23
Gangotori to Bojbasa ガンジス河の始まりのゴームクにいくために、ボジュバサのキャンプ場で一泊。標高3415メートルのガンゴトリから3775メートルのボジュバサキャンプ場へ、14キロのトレッキング、スタート。

  

ホテル出発〜 ガンゴトリの山岳事務所。ここで届け出と入山料を支払う。
TVや映画の撮影は、インド人10000ルピー、外国人は30000ルピーと書いてあった。
普通の登山はそんなにしない。

 


山道にたくさん生えている、ガンガトゥルシの葉っぱ。高山病の症状に効くんだって。耳にかけて香りをかぎながら登る。トゥルシというのは聖なる木で、その葉っぱは、生まれた赤ちゃんを祝福するために、ガンジスの水を垂らす受け皿として使われる。バジルのような香り。ガンガトゥルシは、このあたりにしかない種類だそう。

 

  
スイスかカナダみたいな景色。ガンジス河の上流部・バギラティに沿って崖の山道をてくてく。標高が高いから、てくてくも大変だ。岩に穴をあけて巣を作っているミツバチの写真をとるディネシュさんとパンダさん⤴︎

 

 
固まって岩みたいになっている黒い氷河。川も越えて、てくてく。

 
紫色の花は、サドゥーがお茶にしたりするメディカルプランツ。黄色い方はRudraawantika、根っこを掘り出して乾燥してすったのをのむと、体の中の石(腎臓結石とか)が自然に流れ出るらしい。

 
ゾウの神様の名前、ガネーシャピーク


ヒマラヤの急斜面にくらす、Blue Sheep

 

  
ボジュバサのキャンプ場に到着!宿舎の山小屋で、Bathingのためのお湯を薪で沸かしてもらっているところ⤴︎
ロウソクの灯り、バケツいっぱいのお湯をいただいて、いいお湯だった〜

インドでは、朝沐浴する人が多く、夜にお風呂に入る習慣がない。なので、お湯は私のために沸かしてくれたのだけど、パンダさんも日本に長く住んでたから夜お風呂に入りたいと思うと。そしてプジャもディネシュさんも、みんなバケツいっぱいずつのお湯でbathing。

私は習慣で毎日髪を洗うけど、インドの女性は、週に2回くらいオイルをつけて髪をマッサージ、洗うのも週に2〜3回。つややかで長い黒髪が、女性の美しさなのだって。

 

晩ごはんは食欲がなくて、インスタントのベジタブルクリームスープにごはんを入れてもらった。

寝る場所は、男女混合の相部屋で、ベッドも結構ひっついている。お布団と毛布を頭からかぶって、寝袋みたいにして寝る方法をプジャが教えてくれた。寒くてマスクと帽子とダウン着たまま。寝る前にお腹の具合が悪かった私のために、パンダさんが山小屋の人にアーユルベーダのお薬をもらってくれた。それで夜中にトイレに行きたくなっちゃってほとんど眠れずだったけど、よくなった。インドの薬はとてもよく効く。処方箋いらなくて、高山病の薬もパンダさんが薬局で買ってくれた。

 

 
キャンプ場前のバギラティ(ガンジス河上流部)       宿舎の政府経営山小屋の前で

 

6/24
Bojbasa to Gomukh
Gomukh to Gangotori


標高3775メートルのボジュバサから、4255メートルのゴームク(牛の口)と呼ばれるガンジス河の源流、氷河から水が流れ出てくるところへトレッキング。夜の間降っていた雨も止んで、いいお天気になった。キャンプ場側の道は土砂崩れのため通れなくて、手動トローリーに乗って河をわたり、対岸のトレイルへ。

トローリーに乗るには、交渉が必要だったと後できいた。ゴームクに行く許可証だけでは、本当は乗れなかったらしい。対岸に渡っていくトレイルの許可証がないとトローリーに乗れないので、その許可を得るためにディネシュさんが交渉してくれたのだと。同じ山小屋に泊まったドイツの人は、その許可がなく結局ゴームクまでたどりつけなかったそうだ。
こういうところが、インドでは人と人とのつながりで物事が進んでいく、というところなのだと思う。地元のことをよく知っている人物に案内をたのむと、物事がとてもスムーズ。普通なら入れないところに入れたり、できない経験ができたりする。
それがインド、の一面。

このトローリーは手動で、乗っている間はワイヤーを絶対に触るなと注意されるのだけど、触ったおじさんがいて手を怪我してしまった。そうしたら、みんなまるで家族のように心配して手当てをして、まるでドラマをみているような場面があった。そんなふうに他人にすごく親切なのもインドだなあ、と思う。
という話をしたら、パンダさんが、日本の、特に東京では人情がなくなって、まるで機械人間のようだと思うことがあると言った。東京に来た時、暑い日で、子どもに水を飲ませたいからお店でお水をいただけないかというと、ここで食べなければお水はあげられないといわれ、注文した。食べ終わった後水筒にそのお水をいれようとしたら、持って帰っちゃだめといわれた。郵便局でも水はあげられないと言われた。規則だからだめなものはだめ。まったく融通がきかない。インドなら、暑いからお水をとお願いしたら、椅子に座らせてくれて水をくれて、もしかしたら自分のお金でチャイを買いに行ってくれるかもしれないと。そうかもしれない。
マニュアル通りにしか対応できないのは、機械のようだと。マニュアル通りにアクトだけして、自分で考えることをしなくなったら、人情がない機械人間になってしまうのか。
人情とか思いやりには、マニュアルがない。自分の中から湧いてくるものだ、とパンダさん。

 

さて、ゴームクまでの道はほとんど平坦か、ゆるい坂道で、普通ならスキップしてすいすい進むような道なのだけど、前の日よりさらに標高が高くなり、ますますきつかった。私だって、たまにハイキングに行ったり、1年に1回くらいは美しい山道を登りたいと思うほうだ。東京では毎日よく歩いてるし、自分なりに今回もがんばってたと思う。めちゃ遅くても。でもあまりにきつくて体調が悪く、すっかりネガティブな気持ちになっていた。それに、みんなヒンディー語でしゃべっててなに言ってるかわかんないし、誰も説明してくれない。もう無理、帰りたい。。と思っていたら、ポーターのビピンがそばにきて、片言の英語で「あれがシバリングだよ」と山のピークの名前を説明してくれたのだ。ありがたかった。

ガンジス河が始まる山、バギラピーク1、2、3を背に、ハレハレマハデブ!
右端はバラナシから来られた70歳のおもしろいおじさま。60歳以上になると医師の健康証明書みたいなのが必要。真ん中がビピン。

 

観光局の人によると、氷河は年々小さくなっていて、ゴームク(牛の口の形をしていることからこう呼ばれている。氷河が溶けて流れ出し、ガンジス河の始まりと言われているところ)の位置も変わってきているのだとか。昔は、今回のトレッキングスタート地点だったガンゴトリが、ゴームクだった(!)という。標高差1000メートルもあるのに。。。川の水ももっとクリアだった、川幅が広かったとか。。
氷河は黒と青と白の3層になっていて、黒は永久凍土、降ったばかりの白い雪が固まって解けにくい氷になったら青く見える。今は、雪が固まらず溶けるようになってしまったそうだ。前は雪、石、砂だったのに、雪がなくなり、石と砂だけになったために崩れているのだと。
氷河が小さくなっているのは、温暖化の影響で、標高が高いから太陽の影響を一番早く受ける。たしかにめちゃくちゃ日焼けした。顔はカバーしてたけど、ポールを持つ手がやけどみたいになっちゃった。
もったいないばあさんのワールドレポート展でも、ヒマラヤの氷河についてお話しているので、その現場を見ているという実感。

 

 

 
ゴームクに到着!!
ゴームクから流れ出る水は、まるで野獣がおどりかかってくるように、激しくて生きているみたい。川の始まりというと、日本ではちょろちょろとした清流のイメージだけど、ここは氷河が溶けて流れ出るところ。手が凍るほど冷たかった。

周りの山の森からは、日本と同じように、岩肌からしみ出たり湧き出たりして、流れ込んでくる。

 

パンダさんにならって、私もマザーガンガに感謝のお祈り。ここまで自分の足で来ることができました。来させていただいて、ありがとうございました🙏🙏🙏💞

 

帰り道、下りは私の足でもはやかった。
だけど、これ以上歩くのは、もうかなりいやだった。

 

ボジュバサのキャンプ場に戻り、ボジュバサからガンゴトリまでは、馬に乗って行くことになった。私だけ。パンダさんが、自分かプジャがついていくと言ってくれたけど、ビピンがいるから大丈夫と、馬二頭とビピンともう一人のポニーガイと出発。馬は相棒の2頭ずつじゃないと動かないらしい。
崖道を馬で降りるのは、けっこうこわくてスリリング。でも30分もすると慣れて、馬もすきだし楽しかった。

 

 


途中バラがたくさん咲いているところで、馬たちは山のバラの葉っぱをむしゃむしゃ食べていた。バラじゃないのかな。。

 

みんなより2時間くらい早くガンゴトリのホテルに着いて、チェックインし、預けていた荷物をそれぞれの部屋に入れてもらい、タオルとトイレットペーパーと石鹸をもってきてもらって(全部5回くらいお願いした)、みんなの部屋のお湯のスイッチを入れてから、オーナーとおしゃべりしてチャイも飲んだ。

この日の夜は、何か食べたっけ。。全然思い出せないんだけど。食べたとしても、自分はたぶんスープとライス。みんなへとへとで、早く寝て、朝もゆっくりになったと思う。

2019/6/25
Gangotori to Dehradun

 

ガンゴトリから車でデラデューンへ、また長い旅。
朝ビピンが見送りに来てくれた。プジャもビピンも、二人とも早起きして、早朝のアールティに出たらしい。さすが若いわ。おでこに印。ビピンの三本やりはシバ神をあらわすマークのひとつ。

私はお腹の調子がまだ不安で、クリームスープにごはんをいれたのばっかり食べていたけど、このときディネシュさんが、ヨーグルトにチャパティをちぎって入れてて真似してみた。ガンゴトリで最後の食事、朝ごはん。

 

ガンゴトリ〜ウッタラカシへ、2時間半のドライブ〜
温泉があるときいて、楽しみにしていた。(写真なくて残念!)
プジャと女湯へいくと、ひとり日本の女性が。。こんなところで日本人に会えるなんて〜と思っていたら、あとで、日本のおじさんにも出会った。どうやら知る人ぞ知る、人気の温泉らしい。お湯はかなり熱くて、46度くらいあるんじゃないかな。インドの人たちは、熱すぎてつかれず、足だけ。日本人ふたりだけが肩までつかり、羨望のまなざしをうけていた。「熱くないの?体が真っ赤になってるじゃない」と声をかけてきた女の子が、お湯に向かって唾吐いてる人いたよ、と話していた。。。でも温泉はとってもいいお湯だった。

 

ウッタラカシに到着後、山岳事務所にごあいさつに。そこで急遽、新聞社とTVのインタビューを受けることになり、プジャのアイライナーを貸してもらって、インドメイク。プジャが目の下のアイラインを引いてくれた。目の下を黒くするのは、自分はやっぱり慣れなくて、ちょっとはずかしい。

取材の後、ウッタラシの名物料理、ダルとチャパティのランチをいただく。
山のほうでも、体調をくずさないように、ダルとチャパティしか食べてなかったけど、こちらでいただいたのは、油と塩少なめじゃなくてとってもおいしかった。油と塩少なめじゃないのはひさしぶりだったのだ。白いのはライタ。かな。

 
ここでディネシュさんとおわかれ。。。本当にお世話になりました🙏💞

 


ウッタラカシからデラデューンまで何時間かかったのかな。7時間くらい?
途中の山で、杏・アプリコットが売られていて、プジャとパンダさんがそれぞれ20〜30ルピーくらいでおうちへお土産用に買っていた。いくつかいただいて食べると、ビワみたい。皮のままむしゃむしゃ食べるのが日本のと違う。種の中は食べるものに利用するそうなので、やっぱり杏仁、杏だと思う。源流部ではフルーツなくて食べなかったから、新鮮でとってもおいしくてぱくぱく。私も持って帰りたかったな。

 

 
行きにも寄った食料品店&チャイ屋さん。ドライバーがチャイにホットドックのパンみたいな揚げパンを浸して食べてておいしそうと思ったら、パンダさんも食べてた。安くてお腹がふくれるから、「びんぼうごはん」とよばれているんですよって。
チャイにビスケットを浸してたべるのもおいしかった。

マギーとよばれるインスタントラーメンも、山の食堂ではじめて食べた。インドの国民食で、みんな大好きなんですって。汁なしのカレーヌードル。

 

6/26
Dehradun to Delhi
デラデューンから飛行機で1時間、デリーに帰ってきた。ホテルで休んでるうちにおなかすいてきて、ベジハッカヌードル(中華風焼きそば)を注文。古賀さんに教えてもらったこのホテルのハッカヌードル、ちょっと癖になる味だ。そして夜はまたパンダさんのお宅におよばれ。お疲れのところ、あたたかく迎えてくださりありがとうございました!

  

 

 

6/27
帰る日。午前中に、マーラさんがアーユルベーダトリートメントに連れて行ってくれた。山登りで疲れた体も、そして脳も、シロダーラでリフレッシュ。マーラさんとも写真とればよかった!!

空港に行く前に、バーシャさんにも本をプレゼント。バーシャさんは、もったいないばあさんのヒンディー語版翻訳などでもお世話になっている、児童文学の先生です。

マザーガンガ、この旅と本のことでお世話になったインドと日本のみなさまに心からの感謝をこめて、本当にありがとうございました(_ _)♡

 


デリーに帰る日6/26、ウッタラカシで取材をうけた記事:DAINIK JAGRANという大手新聞社の地方版に掲載

 

5回目となったインドの旅。毎回ブログを書こうと思いながらなかなかできなくて、ガンジス河の旅のブログを書いたのは、今回がはじめてだ。これを機に、全行程の旅のブログもぜひ完成させたいと思う。内容も文量もあるから、もしかしたら、「もったいないばあさん かわをゆく」のメイキング本だってできるかもしれない。インドの大河、ガンジス河を上から下まで旅する経験は、たぶんOnce in a lifetime。そうしてできた川の絵本も、自分にとっては、人生でたったひとつだけ作ることができるほどの、大作になったと思う。たくさんの人たち、子どもたちに読んでもらえたらうれしいな。

 

以下は、パンダさんとのおしゃべりで心に残ったこと:
インドは多言語の国だ。「もったいないばあさん」もヒンディー語以外に、10以上の言語で翻訳出版される予定なのだけど、サンスクリット語でも出版されるとのこと。サンスクリット語は、古代の言語で今は使われていないことばだと思っていたので、なぜ?ときくと、
Higher education はサンスクリット語だからとのこと。Higher educationとは、Vedaヴェーダ。そして、Veda とは、インドの古典。古くからの教え。
“Everything about creation is Veda.”

インドには4つのヴェーダがあり、
そのうちの1つのヴェーダの一部が、アーユルヴェーダなんだって。

パンダさんの知り合いの日本人の息子さんが、インドでヴェーダのPhd.博士号をとられたそう。とっても興味ある。

 

Manduk upanishadというベーダの教えがあって、全てのものは生まれたところに帰る、という意味。
マンドックは、サンスクリット語でカエル。
カエルのお寺があって、なぜカエルなのかと不思議に思っていたが、この言葉の意味を知り、カエルと「帰る、返る」をかけているのではないかと思ったと。
日本でもカエルは、福返るなど、返る・帰るの意味あるとされてますよね、それと同じで不思議な共通点だと思っていた、とパンダさん。アジアの国では、他にも同じように、カエルが「帰る、返る」と同じ発音、意味があるところあるらしい。
Manduk upanishadは、オームの説明が書いてあるヴェーダ。

 

パンダさんに真珠さんの人生の目的はなんですか?ときかれ、
それがわからないから、それをさがすことかも。自分は真理を求めてると思う、と答えた。
いつも本当のことを知りたいと思っている。
なんのために生きているのか、なんのために生まれてきたか、どうすべきか、本当に大切なことは?意味は?というようなことを知りたいと思っている。
私の名前と同じ。まりこは、真理子。真理の子だ。
そうしたらパンダさんが、インドの哲学では、真理は外にあるのではなく、自分の中にあるという考え方をする、と。
神さまはあなたの中にあるとか、すべてはひとつだったとか、よくきくけど、なんとなくそうなのだろうということは感じるけど、ぼやぼや、モヤモヤっとして、私はまだよくわからない。それを知りたい。でもそれがわかったら、悟ったってことなんじゃないかな。パンダさんはわかっておられるのかな。

Category: インド