バングラデシュ・レポート
真珠まりこ

2008・3・27 
バンコクからダッカへ
2時間のフライト。
ダッカは新緑〜初夏の季節。あと1ヶ月ほどで雨季に入る。
到着してイミグレーションをぬけたところで、お迎えの人が待っててくれた。
今回の旅はすべて現地の会社にコーディネートをお願いし、
日本語ぺらぺらガイドのセデックさんがずっといっしょについてまわってくれた。
バングラデシュの人は親切だし、基本的には危険じゃなさそうだけど
でも、やっぱりスラムにはセデックさんのようなガイドさんといっしょじゃないと
とても入っていけない。
外国人はめずらしいから、歩いているだけでどこに行ってもじろじろ見られるし、
写真とるために立ち止まったり、だれかに話しかけたりしようものなら、
あっという間に黒山のひとだかり… そのあともぞろぞろみんなでついてくる。

スラムで100人の人たちに取り囲まれたら
ふつうこわいと感じると思うんだけど
礼儀正しい人が多くて、子どもたちが私にさわろうとすると
年長の子がやってきて「こら!」ってしかって守ってくれる。
どこにいっても必ずそういう役割の子がいて、まじめな国民性なんだなと思った。
なかには『お金くれなきゃ写真撮っちゃだめ』ていう人もいたけど
カメラをむけた大多数の人たちは、にっこり笑って何も求めなかった。
デジカメの画面で見せてあげるとすごく喜んで、「わたしも撮って!」って何度もせがまれちゃった。

バングラデシュは人口密度世界一の国。
北海道よりもちょっと広いところに、日本の人口よりもちょっと多い人たちが住んでいる。
道理で人が多い。ほんとに人だらけ… 
そして車、バス、リキシャ、三輪のベビータクシーもそれぞれだらけで入り乱れて走る。
信号なんか無視。
四方から交差点に入ってクラクションをならしまくり、ちょいちょいっと隙間をみつけて進んでいく。
むちゃくちゃだけど、ぎりぎりで譲りあったりして、なんとなく流れている。

             
 リキシャ      ぼろぼろのバスだけど走ってます  ベビータクシー

リキシャは日本の人力車が語源の人力タクシー。
作る職人さんがいるらしいけど、手作りっぽくて、まるでブリキのおもちゃが走ってるみたいだった。
もようや飾り付けさまざまで、工夫が凝らしてある。
日本の人力車が形をかえて輸入されてこんなとこ走ってるわけです。
今の部品はインドと中国から入ってきてるそうで、
「インドや中国でもリキシャっていうのかな?」ってセデックさんにきいたら、自信満々「そうですよ」って。
そして この街の様子はインドのカルカッタとまったくおんなじなんだって。
リキシャの運転手さんは農村から出てきてスラムに住んでいる人が多い。
250タカ(
130円くらい)の稼ぎの中から、親方に100タカはらって、
残りは150タカ(78円くらい)。とても暮らしてはいけない。
奥さんもメイドとして働いていたり、面倒みてもらえない子どもが道で暮らしてたり 
暮らしぶりは厳しいそうです。
ホテルにチェックインしたあと、
ストリートチルドレンのための家を設立して保護と世話と学校を運営している
NGO、
オボラジェ・バングラデシュへ向かう。
ここは海外の資本から独立して現地スタッフだけで運営されている。
代表のセリムさんが迎えてくれた。
バングラデシュはイスラムの国なので(じゃなくてもそうかな)
男の子の部屋と女の子の部屋が分かれている。
ついたときは子どもの笑い声がきこえてきて、ちょっとほっとした。
みんなでおはじきみたいなゲームをして遊んでいた。

その部屋は、夜に男の子たちが床にそのまま寝る部屋になる。冬以外はふとんなし。
しきりのついた奥の部屋では、女の子たちが縫製の練習をしていた。
手に職をつけるために、小学校低学年くらいの子たちも裁断やミシンの練習中。
紙でショッピングバッグを作っている子達もいた。
バングラデシュではレジ袋は排水溝につまるから使われないようになり、
この手作り紙袋や、網のネットの袋が使われている。
セリムさんによると、「子どもたちが道に出るのはお金をかせぐため。だったら、
ここでこの仕事をすればいいって、紙袋を作らせているんだ」そうです。
このセンターにくるかどうかは、子どもたちの自由意志なんだけど、
道で暮らす自由を望んで、それを選ぶ子のほうが多いらしい。
「どうして??」って思うけど、ルールに従う方がいやだという子どももいるんですね…

 

アラウディーンくん(歳)と 仲良しのラッセルくん(歳)の話↓


友だちのところに遊びに行って2日して家に帰ったら誰もいなかった。親はその間に引っ越しちゃったらしい。
それからバス停で暮らしてた…ってラッセルくん。

ラッセルくんがいたバス停留所で
ストリートチルドレンのための青空学校が行われると聞き、見学に行った。
道でくらしていたけど、今はNGOのセンターに住んで小学校にも行っている子や、
スラムに住んでて働きながら、小学校には行かずこの学校にだけ来ている子や、
小学校にも通わず道でねとまりしてる子などいろいろ。中には赤ちゃんを連れてきている子どもも。
スラムに住んでいる子も、毎日帰るわけではなくて ときどき帰るってかんじらしい。
両親は自分たちが生きるだけで精一杯で、子どもの世話する余裕がなくてほったらかし。
子どもたちは自立せざるをえない。子どもに物乞いさせる親も多い。
そういう親にとっては子どもは大事な収入源だから、学校に行かせるなんて考えてもいない。
信号待ちのとき、お金を恵んでという人がやってくる。
イスラムでは喜捨という教えがあるから、お金をあげる人が多くて
だまって手を出すだけでお金がもらえる街だから、ダッカに人が集まってくるんだって。
みんな勉強好き?ってきいたら「イエ〜イ」って元気よかった。



道で寝てる人?ってきいて手をあげた子たち

道で寝てる子と小学校に通っている子たち、あきらかに違う。

バス停で寝てるノズルくん(12歳・左端で切れちゃってる子)
ごみを拾って売って生活している。
そのお金で今日は映画を観にいく。シャワーあびないの?てきいたら、
「今日は一週間ぶりにからだ洗うことにするよ」って。
NGOのセンターには、子どもたち各自のロッカーがあって
持ち物を保管できるんだけど、道の子たちどうしているのかな?ときくと 
稼いだお金はその日に全部使うし、服は着ている1枚だけ、だから何もないんだよということでした。

最後にみんなで歌ってくれたのはなんと「大きな栗の木の下で」♪
…感激… 
以前いた日本人におしえてもらったんだって。
歌の指導をしている
15歳の女の子(名前きくの忘れちゃった)は
もとストリートチルドレンで、今はセンターのスタッフとして働いている。
親が離婚して再婚して子どもが多くて育てられないからって、
7歳のときに出てきたらしい。
「はじめて道で寝るときこわくなかった?」ってきいたら
「すごくこわかった」って…そりゃそうだよね…
そんな小さな子がこわくないわけがない。
いったいみんな心の中にどんな傷をかかえているんだろうってその深さを思うとたまらなかった。
ぶたれたりいじめられたり
物を盗ったって濡れ衣着せられて刑務所に入れられたこともあるんだって。
道で暮らす女の子たちは、家庭での身体的、性的虐待から逃げてきた子が多く
道でもまたその危険にさらされることになる。
ダッカ市内のストリートチルドレンは1年で倍になり、いまは
60万人いるそうで 
ますます貧しくなっている人が増えている。
でも一方で町は発展しているから、やっぱり格差が広がっているってことでしょうか。

みんなとバイバイして
デズガ・ボスティへ。ボスティはベンガル語でスラムのこと。
「バングラデシュにはスラムがメニーメニー」って運転手のアミルくん。

ここは、線路をへだてた反対側にバシャール(市場)があって
線路沿いにもたくさん人が住んでいる。

市場で野菜を買って、それを家々に売り歩く人が多いんだって。
カメラが使えなくなっちゃって、携帯のカメラでとった写真、わかるかな。


        
      スラムのおうち     食堂・カレーをごはんにかけて      線路沿いに住む人々  拾ったゴミを分別して売る   「撮って撮って」

広いスラムを回り歩くうち暗くなっちゃった。

2008・3・28
ダッカをぬけて
17世紀までの首都ショナルガンへ。
農村の人々の暮らしぶりもみたいって連れてってもらったのは、ハムチャディ村。
じゃがいも、小麦粉、とうもろこし、お米の畑がひろがるのどかな風景。
小学校のスポーツ大会が行われてて、ちょっと見に行ったら、
あっという間に子どもたちがわ〜っと集まってきた。




ちょっとはなれたところでは、村の裁判が行われてて、
村長さんが裁判官、村の人たちが陪審員となって、離婚問題の夫婦を囲んだ話し合いが行われていた。
青空裁判所。当人にとっては深刻な問題なんだろうけど、なんだかすごくのどかだった。

ここで11歳のリピーちゃんのおうちにおじゃまさせてもらった。
将来は先生になりたいんだって。
でもセデックさんによると、まだまだ農村では娘が
15歳になったら結婚させる親が多くて
むつかしいでしょうって。(法律では
18歳からなのに、ですよ)

壁はトタンをはりつけたもの。
窓はないけど、穴がいっぱい。部屋はふたつ、ベッドはひとつ。
そのベッドに夫婦と
5歳のこどもで寝てる。


        
   井戸とトイレ                        台所                      リピーちゃん家族

下に川が流れていて、この前の洪水のときは、その川の水位が上がって
ひざまで水に浸かったため家が使えなくなった。井戸とトイレが隣あわせ。
シャワーっていうか水浴びも外。台所も外。雨のときだけ家の中で料理する。
にわとりもやぎも一緒に住んでて そこらじゅう行ったり来たり。
台所の壁の模様なに?ってきいたら、牛の糞をまるめて乾かしてた跡なんだって。
雨季は木が水に浸かって使えなくなるから、その間の燃料にする。
池にたくさんさいているホテイアオイの花… その草をたくさんとってきて
牛が葉を食べた後はかわかして燃料にする。日本の江戸時代にタイムスリップした気がした。

リサイクル社会がめざすのってこういう生活なんじゃないかなあ。
清潔で洗練された暮らしに慣れた私たちには
いまさらこのスタイルで暮らすって難しいかもしれないけど
そこは技術とコラボして、いい形がうまれたらいいですね。

バングラデシュの洪水というのは、鉄砲水のように激しいものではなくて
大雨で水位が少しずつ上がって、長い間水浸しになる状態だそうです。
ずっと水に浸かることで畑の作物がだめになってしまったり
家に住めなくなったり、トイレの汚物が井戸の水とまざってしまうことで
飲み水がなくなったり、感染症が広がる心配もある。
「洪水はインドのせいだ」ってセデックさんが言うのでギョッとした。
インドとの国境の川に水門があって、水かさが増えたときに
その水門を開けると洪水になるのがわかってて開けるんだって。
なんで?って思うでしょ?
それは、インドも洪水になってるからしかたなく開けるそうです…
バングラデシュは、国土の大部分が海面ぎりぎりの高さにあるので
以前から大雨が降ったときには洪水が起きていたけど
いまは、ヒマラヤ山脈・エベレストの氷河が溶け、
その下の氷河湖があふれて起こる大洪水が心配されています。
水はネパールのほうからガンジス川に流れ込み、
バングラデシュはその下流にあります。
氷河はこれまで、少しずつ溶けて川を流れ、周辺の土地を潤してたけど
全部溶けてなくなったら
将来は、流れてくるお水もなくなってしまいます。
洪水のあとにくる水不足と干ばつ、それによる食料不足が心配です。
バングラデシュの貧しい人たちは
今でも災害続きで、お米の値段があがって大変なのに



ダッカに戻り、JICAが運営するゴミ捨て場に行く。
市内を走っていると、いきなり道にごみを投げ捨てる人がいてびっくりすることがある。
なまごみじゃなくてダンボールとかだけど…

今は収集日をきめて収集されるのでだいぶ減ったんですけどね、とセデックさん。
でもダンボールなんかは、そのへんの人たちがひろいにきて、すぐに無くなってしまうみたい。

一面のゴミ。すごいにおい。ここの人たちは慣れているみたいだけど
おえっとなりそう。ハエもすごくて 口をあけていると入ってくる。

ごみをひろう子どもたち。学校には行ってない。誰一人として。
足はごみのどろだらけ。
靴を履いていない子がいて、足が切れていた。

うちの子の運動靴、小さくなってはけないやつ持ってきたらよかったな…

      


この後、現地でストリートチルドレンのために活動している日本のNGOエクマットラを訪問。
代表の渡辺さんにナゾだった細かい事情など質問ぜめにして
詳しく教えていただいた。
現場で働くNGOの方々の活動にはほんとに頭がさがります。

ボラ・ボスティ(スラム)へ。
ボラ村から出てきた人たちで作られたスラム。
川の流れで侵食されて、家がなくなっちゃったそうです。
モタレブさん38歳。36年ここにすんでいるんだって。
ここで育ってここで結婚して子どもも育ててる。洪水でだめになった家を修復中。
ダンボールと竹でかべを作っている。
洪水の時には上の橋まで水がきて、ひくまでもっと上のほうに避難しなくてはならなかった。
このスラムはうなぎの寝床のすきまに道があって、水のホースだらけ、ごみだらけ水浸し、すごい。
井戸とトイレは共同。水道が使えるところもある。
(モタレブさんは水道代を市に月100タカ払っている。)
トイレの汚物はどこにいくの?ってきいたら、下の川だよって。

やっぱり 洪水になると汚いお水も井戸もまざっちゃうんですよね…
モタレブさんの息子ふたりは小学校に通っている。
上の娘は
12歳までしか学校に行けなかった。
今は
15歳で縫製工場で働いている。もちろんにわとりもやぎもいっしょ。


      
        モタレブさんと子どもたち  このスラムの地面はごみだらけで水びたしだった       レンガを砕いて売る仕事をするお母さん


ミルプールの聖者廟へ。
ここでは毎日お昼の
12時に炊き出しがあって
キチュリと呼ばれるお豆や野菜がはいった炊き込みごはんが配られる。
そこで寝泊りする人も多く、物乞いの人たちがねていた。
私の横顔をじいっと見ながらついてくる子がいて
話しかけたら

みんな集まってきちゃった。人数がはんぱじゃなくて(200人くらいに取り囲まれた気分)
何ごとかと警官がやってきた。
その子(名前きくのまたわすれちゃった)は、
14歳の男の子で
服がぬれていた。
モスクの沐浴場でからだを洗ったんだけど、服がこれしかないからぬれたまま着て自然にかわかしているんだって。
両親はディスナプールという町に住んでて、お母さんはメイド、お父さんはリキシャの運転手をしている。
12歳のとき出てきて、それから会っていない。
学校に行ったことなくて、食事は一日一食、ここの炊き出しでもらった炊き込みごはんを食べるだけ。
物乞いでもらったお金でポップコーンやキャンディを買うこともある。
この場所に寝ている子どもたちはたくさんいるように見えた。
ほとんどはだかではだし。
小さい子達が私の手をにぎってきたので握手したら
みんなとすることになった。この子たちどうなるのかなあ…
でも、小さな子どもたちには生きていく本能が備わっているみたい。
あの14歳の男の子は、自分は何のために生まれてきたんだろうとか考えないのかな
ってセデックさんに言ったら
そのうち考えるでしょって。
だとしたら、いつどんなきっかけで考えるようになるんだろう。
この生活を繰り返す中で、そんな日がくるのかしら。


NGOのセンターに行こうと思わないのってきいたら
子どもは答えず、警官が「連れてっても戻ってくるよ」って。
自由がすきだからそういうところは合わないのさって言った。

小さい子たちにあげるキャンディ持ってたんだけど
人が多すぎて危ないからだめってセデックさんにとめられた。


   
炊き出しのごはんを食べる人たち     なんだなんだと集まってきた人たち


ランチの後、カロワンバシャールへ。
昨日行ったテズガスラムの反対側。スラムの人たちもたくさん働きに来ている。
荷物運び仕事をするために
トラックが入ってくるのを 地べたで寝て待つ人たちがいっぱいいた。
子どもたちは落ちた野菜を拾っている。
1キロになったら市場の端で売るんだって。
セデックさんが自分ちの買い物するのに人夫さんを頼んだら
買った野菜(じゃがいもいっぱいで重そうだった)を全部かごに入れて頭にのせて運んでた。
最後に10タカ渡したら、もっとよこせって言われたんだって。
安い気がするけど
「そんなもんですよ」ってセデックさん。
セデックさんの奥さんは買い物しないそうです。


  
おいしく見えるように赤い光のたまねぎ売り場     拾った野菜を見せてくれた ジュエルくん(右)

ジュエルくん9歳。両親はスラムに住んでる。
ジュエルくんは家に帰る日もあれば帰らない日もある。
ごはん食べるのは1日
2回。
子どもたちはパンをかったり、屋台でごはんとおかずのセット(カレー)を
10タカ(5円くらい)ほどで買ったりして食べているらしい。
ジュエルくんに屋台のさつまあげみたいなやつ食べる?ってきいたらうなずいたので、
セデックさんが
5タカで買ってあげた。

ずいぶんハードな一日だった。スラムの人たちの話をきくと消耗する。
自分が望んでここまで来たわけだし、できるだけたくさんの人の話をききたいと思ってるけど
帰り道は口もきけなかった。

2008・3・29 
今日はもう帰る日。
迎えの車がくるまえに、おさんぽにいこうとしたら、ホテルの人にとめられた。
1人で歩いちゃだめって、警備の人を1人おともにつけてくれた。
このへんを歩いてみたいって言ったら連れてってくれたのは、とってもきれいな公園。
へえ… ダッカにこんなきれいな公園あったなんて、ちょっとびっくり。
 クラクションなりひびく街中と荒れたスラムばかり見てたからね。

そこからホテルまでの帰り道にもスラムがあった。
川沿いに建ってて、おばあさんが食器を持って川から上がってきた。
もしかして、この川で洗ってたの?てきいたら、そうだって。

ごみ置き場が横にあって、すごい臭いだった。
川に下りる斜面に小さなトマトとぶどうの畑がつくられていた。


    
右のおかまと薪でごはんをたいて食べる       露店でパンを買うこともある

ホテルの近く、路上で暮らす家族のこども、ごはんだけ食べてた。
バングラデシュにはいろいろな種類のお米があって
レストランで出てくるのはタイ米のように細くて長いいいお米、
貧しい人たちが食べたり炊き出しに使われるのは、お豆みたいに短くてふといお米。
そう、たしかに、ぼこぼこしたごはんだった。


人が並んでるところがあって、なにかと思ったら
貧しい人たちのために、安く売っているお米を買うのに並ぶ人たちだった。
売っているのは警察官。
市場価格より1キロ、
5タカ(2.6円)くらい安いらしい。
日本円にしたら安いものだけど、貧しい人たちにとってその違いは大きい。

空港に行くまでの道で、なにか食べている人がいたので車をとめてもらった。
人々がどんな生活をしているのか 
実際に何をどうやって食べているのかを知るのが今回の旅の目的なので
食べてるお母さんに頼んで中身を見せてもらった。
ごはんがほとんどでおかずは一切れかふた切れ。
味付けしてる生肉みたいなのにハエがたかっていた。
ハエが入らないようにザルをかけながら食べていた。自分でつくって1日
3食たべるそうです。


  

バングラデシュでは、おなかをこわすかもしれないからあまり食べないほうがいいよ
ってみんなに言われてたんだけど
ベンガルの家庭料理、すごくおいしかった。
ごはんにかけて食べるダルスープ(お豆のスープ)は食事のたびに出てくるお味噌汁みたいなもの。
プラムのアチャ(つけものみたいなもの)は梅干のようにごはんのおともにする。
屋台で買ってべろべろなめながら歩いている子たちもよくいる。
ほかにもマンゴーや、オリーブのアチャを家庭で作るそうです。

口直しのコリアンダーシードフライもおいしくて
「日本の人はよく買って帰るよ」ってセデックさん。
買って帰るの忘れちゃった。

短かったけど、ほんとに中身の濃いい旅になりました。
バングラデシュのスラムに生きる人たちは、元気。
きつい暮らしのはずなのに、それでも生きてる。
死のうなんて思わない。強くてたくましい。
私も生き抜く力のシャワーをあびた気がする。
生きるってどういうことなのか
この旅で見てきたことを思いながら、考えてみたいと思います。




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