インドロケ日記

2009年3月放送のTV番組「もったいないばあさんと考えよう世界のこと」の
撮影のため、インドを訪れました。以下はそのときの記録日記です。

インドは、子どもが働く問題、児童労働がもっとも深刻な国のひとつです。
もったいないばあさんのワールドレポート展でお伝えしている問題の中から、
私自身が一番気がかりなこの問題を特集するため、インドのスラム街に暮らす子どもたち、
そして、働かされていた現場から助け出され、社会に復帰するためのリハビリ教育を
受けている子どもたちを取材しました。

 

2009年2月2日Mon.
成田からデリー → ラジャスターン州サリスカへ
9時間半のフライト。


飛行機の右手にヒマラヤ山脈

インドの首都デリーの空港には、通訳のボビーが迎えにきてくれた。
「児童労働の取材はむつかしいけど、がんばるから」と。
もったいないばあさんをガイド役に、
世界で起きていることと私たちのくらしとのつながりを伝える展示会、
「もったいないばあさんのワールドレポート展」。
そのワールドレポート展の内容と、もったいないばあさんのメッセージを伝えるための番組を作ることになり、地球の問題の中でも私が一番気がかりなこと、
「子どもたちがはたらかされている問題」をテーマに、
インドへ取材ロケに行くことになった。
インドは、児童労働がもっとも深刻だと言われている国のひとつ。
14歳以下の子どもが働くことは、法律で禁止されているにもかかわらず、
年齢をごまかしたり、かくしたり…
不法に働かされている子どもたちがたくさんいると言われている。
その数は、1000万人とも5000万人以上とも…。
カメラの前では、嘘をつく人が少なからず
たしかに、取材はとても大変だった。

空港からロケバスに乗り換えて、5〜6時間ぼこぼこゆられ、
ラジャスターン洲のサリスカへ向かった。
目的地のサリスカは、Tiger Reserve(絶滅危惧種であるトラの野生保護区)
があるところ。
山2つの広い地域にトラが2頭すんでいるらしく、それを見るために、
フランスからの観光客が、ジープに乗って朝早く出かけていた。
トラだけじゃなくて、サルやニルギリ(鹿と牛を足して2で割ったような生きもの)、くじゃく(インドの国鳥)など、
ほかの野生動物もたくさん生息している地域だった。

 

2009年2月3日 Tue.
ラジャスターン州サリスカ
子どもにやさしい村

最初の取材地、「子どもにやさしい村」へ向かう。
児童労働から救出された子どもたちが、心と身体のケアや勉強をしながら暮らすリハビリセンター。インドのNPO、BBAによって運営されている。

集まってくれたみんなに、もったいないばあさんの絵本を読んで自己紹介をしたあと、働いていた時の様子を紙に描いてもらって、話をきくことにした。
子どもたちはみんな、絵が上手!

マイカと呼ばれる石の採掘をしていた子がいた。
ソントシュ・クマルくん、13歳。
マイカは、私たちの暮らしに欠かせない鉱石で、電気製品などに多く使われているらしい。ソントシュくんたちは、家族みんなで石を掘ってはたらいて、
1日150円ほどのお給料をもらっていたという。

絵を描いてくれた子どもたちの中には、
「え、こんな小さいのに?」と思うほど幼い子もいて、年を聞いたら5歳だった。

その子は4歳のときから、女中として働くお母さんといっしょに
そうじなどを手伝って働いていた。
お母さんといっしょだと、このまま学校に行けず、
働くしかない状況からぬけられないので、母子はなれてひとり
この施設で生活しているということだった。
BBAは、働かされている子どもたちを救出して、
普通の生活に戻すためのリハビリセンターを運営している。
私たちが取材に行ったときには、2008年に南部のビハ-ル洲で起きた洪水で親を失い、
さらわれて人身売買の被害にあった子どもたちがたくさんいる
という話を聞いた。
BBAの人たちは危険をおかして、このような子どもたちを救出する作戦も
行っている。いい仕事があるからといって子どもを連れ出し、
都会に送る大人たちがいて、
学校に行けず、自由も希望もなく、
朝から晩まで働かされる子どもたちもいると言う…

「子どもにやさしい村」のみんなに質問
「勉強好き?」ってきくと、「イエ〜イ!」って大きな声。

「将来何になりたい?」 「ドクター!」「警察官!」「先生!」
「もう働かなくていいんだよって言われた時うれしかった?」
「うれしかったー!」(みんなバンザイしながら)

「レスキューされた時にもそうやってバンザイしたの?」ってきくと、
「いや、その時はこれからどうなるかわからなかったから、不安だった。
でも、働かなくていいってわかって、だんだんすごくうれしくなったんだ」って話してくれた。

 

ちかくの採石場で
この日の取材のために、デウリちゃんという12歳の女の子が、他の施設から来てくれていた。

デウリちゃんとドナさんと

デウリちゃんは、8歳のころ、働いていた採石場から、
他の125人の子どもたちといっしょにレスキューされた。
とてもおしゃべりな子で、たくさん話をしてくれた。
あるとき、お母さんが身体の具合が悪くなってしまい、
「おまえが働かないと金をやらない」と親方に言われて、働かされていた。
大きい石をくだいて小さくして、洗面器みたいな鉄鍋に入れて運ぶ仕事。
鉄鍋は日ざしの強いところにあると、すごく熱くなって重かった。
お金がなかったから、安いとうがらしを入れたチャパティを朝と夜2回食べて、
空腹をがまんした。
昼はぬき。水は離れたところに井戸があったけど、そこまで行くのが大変で飲まなかった。
彼女が描いてくれた絵には、監督していた男の人がひとり。
その人に遅いってよくどなられてこわくていやだった。
「将来の夢は?」と聞くと、「先生になりたい」って。
困っている子どもたちを助ける人になりたいんだって。

デウリちゃんが、石切り場でどうやって働いていたかを見せてくれることになって、実際に働いていたところに似た採石場がまわりにもたくさんあるというので、そのうちのひとつに向かった。
山を切りくずして石を掘り出し、それを砕いて小さな石にする仕事。

途中で出会ったやぎ飼いの親子 こうやって働く子どもも多い

デウリちゃんは、採石場にくるといやなことを思い出して気分が悪くなるらしく、機嫌が悪くなってしまった。
ちょうどそこへ、お昼休みが終わって、石をくだく仕事をしている人たちが戻ってきた。

その中に、赤ちゃんをだっこしている女の子がいたので気になって、話をきかせてもらうことにした。

パウラちゃん、12歳。だっこしていたのは、弟さん。

学校には行ったことがない。

お母さんが、「行かせたいけどしかたがない。
ここで家族みんなで働かないといけないから、行かせられない」って話していた。
家族で石を掘り出し、細かく砕いて運ぶ仕事をしている。
パウラちゃんは、ずっといやそうな顔で下を向いたまま無言…
「将来やってみたいことある?」と聞いてみたけど、何も言わなかった。
質問の間中すごく嫌そうな顔でかたくなな態度だったけど、
家族といっしょでさみしそうではなかった。
カメラがとまってから、彼女に近寄って「嫌なこといっぱい聞いたとしたらごめんね、
悪かったね」と日本語で言うと、ちょっとゆるんだ顔をみせてくれた。
言いたいこと感じてくれたかな…。

その後、このご家族が暮らしぶりを見せてくれることになって、お宅にむかった。
5分くらい歩いて登っていくと、コンクリートのブロックでできた物置
みたいな小屋があって、ドアが5つくらい並んでいた。
ドアの外には、干した草をのせて屋根にした青空台所。コンロがひとつ。
中は2〜3畳の部屋。
窓はなく、はだか電球がひとつ。ベッドがひとつ。
壁に服がたくさんぐしゃぐしゃにひっかけられていた。
この部屋に11人で暮らしている。
「えっここに11人?どうやって寝てるの…」
ベッドに3人〜、あとは床に敷物をしいて寝る。
外の台所の床に敷物をしいて寝ることもある。 …ということだった。

このあたりの気候、朝晩すごく寒くてダウンのコートを着るくらいなのに…
あったかいふとんなんてなさそうだし、寒くないのかな。
夏は夏で、干ばつの被害が出るほど乾いて暑くなる地域と聞いている。
熱波でなくなる人もいるらしい。
家に窓がないから、大変だろうなあ…

ここでは、同じ建物の中に数家族が住んでいて、子どももたくさんいたけど、
みんな学校に行ってないって話していた。
もっと小さい子もいて、もしかしてこの子たちも?って聞いたら、
「いいや働いてはいない」って。
でも、インドのTVディレクターのマノージュさんが、後から私のところにやってきて、
「あそこで働いているか?と聞かれても、NOっていうしかない。
だから、みんなの前で聞くな」とおしえてくれた。
さっきの12歳のデウリちゃんも、「働いているんじゃなくて、子守りをしている」と話していた…
この人たちは、元々住んでいたところに仕事がなくなって
となりの洲からやってきたんだって。
トイレはどこ?と聞いたら、そのへんで、と。「自然トイレだよ」とボビー。

 

らくだの荷車 女性は顔を見られないように隠す人が多い。

水汲みをするお母さん

 

2009年2月4日 Wed.ジャイプールへ
バスでぼこぼこ2〜3時間走って、同じくラジャスターン州のジャイプールへ。
道中、からし菜の菜の花が一面にたくさん咲いてきれいなところがあった。
この時期によく見られる黄色の風景。
ジャイプールは象の町。エレファントタクシーでマハラジャのお城に登っていける。
料金は1500ルピー。
年に一度のエレファントフェスティバルでは、象のポロも開かれるそうだ。

象のタクシー     マハラジャのお城。万里の長城みたい。

 

ジャイプールのスラムにて
この町のスラムの青空学校へ行った。
とはいえ、青空ではなくてちゃんと屋根があった。スラムの補修校ってかんじ。
子どもたちは、みんなかわいくて元気。外国人が来るのは特別なことみたいで
すごく歓迎してくれた。

「仕事をしている人手をあげて」ときいてみると、ほとんどの手があがった。
「スラムの青空学校だけではなくて、外の学校にも行っている人?」ときくと、
やはりたくさん手があがった。
働いている子も多いけど、働きながらちゃんと学校に通っている子もたくさんいる。
働くといっても、ここの場合には、家族の仕事の手伝いをしている子が多い。
授業のあと、近くの2人の生徒さん宅に
行かせてもらうことになった。

最初の男子(名前わすれました)は、その子のお母さんが、
「先のことはあまり考えていない。運は天にまかせているから」
って言ってたのが印象的だった。
その男の子が、私たちが入る前に家の中をそうじしてくれたことも。
草をたばねたほうきで、床に散らかった食べ残しを掃いてくれた。

2人目の家は、プジャ(10歳か12歳)の家。

プジャは、「学校が終わった後、お母さんの手伝いで刺繍をするの」と言って、
きれいにビーズが刺繍された服を見せてくれた。
出来上がった洋服にビーズで模様をつけていくのがプジャの役目。
学校では、プジャが「自分は10歳」って言っていたのだけど、
お母さんは「いや、この子は12歳よ」って言うので、ほんとはどっち?
という話になり…
ボビーが言うには、「たぶん本当の年齢は知らないんだよ。
わからない子が多いから」って。なんでわからないのかしら…
ふたつの服を刺繍して、もらえるのは5ルピー。
刺繍された服は、市場でだいたい100ルピーくらいで売られているらしい。
インドの布製品には、ビーズや鏡が刺繍されていて、キラキラきれいなものが多いけど、プジャのような子どもの手で刺繍されたものも
きっとたくさんあるんだろうなあ…と実感した。
プジャは、お母さんがすきだし、刺繍もすき。学校にも行ってる。
「読んだり書いたりできるようになった?」という質問には、
「名前は書けるけどあんまり…」ってかんじの答えだった。
学校に行っても、みんなが読み書きできるようになるとは
限らないのかもしれない。
インドの識字率は61%だそうだ。
学校の後は友だちとあそばずに、こうやって手伝うのがすきなんだって。
インドは家族のつながりが強い国だって聞くけど、
ほんとに、「友だちと遊ぶより家族とすごすのがいい」って答える子どもが、
このスラムでは多かった。

スラムの中に広場には、沼地というか川というか、水がたまっている所があって、
ブタの親子がたわむれていた。


子どもたちは、家の前の溝(というか、どぶ)にしゃがんでトイレをするんだけど、
その汚水は、広場に流れて集まっている。
つまり、スラムの真中に、うんちやおしっこの川が流れていて
それが広場に流れこんでたまってるってこと。
そのすぐ横の井戸でくみ上げた地下水をみんな飲んでいる。
うーん… やっぱり私たちがそのお水を飲んだらおなかこわすかも。
若者や大人は、もっと離れた所で、自然トイレ。
水浴びも、外だけど、女の人は布とかで身を隠して水浴びをする。朝の沐浴も。
熱いお湯がつかえるお風呂やシャワーがあるのは、
アッパーミドルクラス以上の家だけで、
スラムにはなくて、寒い朝でも浴びるのは、お水しかない。
インド人TVスタッフたちによると、ミドルクラスはアッパーとロウアーのふたつに分かれて
いるそうだ。
ロウアーミドルクラスの人たちは、水を沸かしてお湯を作ってお湯浴びをするときもあるらしいけど、
スラムに住む人たちなど、貧しいロウアーな人たちは、冬でも水しかない。
インドは暑いイメージだけど、地域によって冬や夜はとても寒くて、
このあたりもデリーでも、私たちはダウンコートを着ていたくらい寒かった。
だから、冬の水浴びはつめたいだろうなあ。
スラムの人たちは、熱いお湯のお風呂なんて、入ったことないだろうし、
もしかしたら一生入ることがないのかも。
プロパンのちっちゃいガスを使っていたけど、そのガスも高いんだって。

それにしても、子どもたちはみんな元気で楽しそうにしている。
10歳の双子の兄弟ソンヌとモンヌ。とってもかわいい無邪気な笑顔のふたり。

「毎日楽しい?」って聞くとにっこり、「うん、楽しい!」って。
「学校終わってから何してるの?」って聞いたら、「家でお手伝い。」
友だちとは、「お母さんが悪い子になるからだめ」って言うので
あそばないらしい。
えっでも、インタビューの間中、他の子たちが家に入ってきて囲んで、
楽しそうに遊ぶ友だち同士に見えたけどなあ。
ふたりともやっぱり、「家族が大事で、家族がすき」って言っていた。
そして、「国を守るために、警察官かアーミーになりたい」って。
男の子はこう答える子が多い。いつも、お昼は家に戻ってきて、お母さんが仕事に行く前に
用意してくれていたお昼ご飯を食べてから、また学校に行く。
ランチ見せてって頼んだら、チャパティを持ってきて、ふたりで半分に分けてかじってくれた。
私にもくれた。
足りなくなるからいいよって言ったら、まだたくさんあるから食べろって。
冷めていたけど、塩がきいてておいしかった。
カレーもあるんだって。お豆のカレー。
日本のお味噌汁みたいなおふくろの味。

スラムと一口に言っても、レベルの違いがあって、いろいろな人が住んでいる。
お金を得て外の社会に出る人もいれば、ずっとそこに住むしかない人たちもいる。
そして、スラムにも入れず、道ばたで暮らすストリート家族もいる。
だけど、子どもだけで道で暮らしている子は、見かけなかった。
そう、インドの街で一番思いがけなかったのは、
バングラデシュのダッカほど、ストリートチルドレンを見かけない
ということだった。
これはすごく意外だった。
人口が多いし、たぶん都会にはたくさんいるのだろうけど、
表面を見渡した限りは目に付かない。
インドは家族のつながりが強いから、子どもを放り出さないからだとか、
宗教の国で、人を助けたら自分の徳になるから子どもの面倒を見る人が
いるのだとか、
孤児院もたくさんあるからとか、ボビーが言っていた。
子どもが物乞いのこじきになるよりは、学校へ行けなくても働いていた
ほうがマシという考えの人もいるということだった。

 

2009年2月5日 Thurs.
ラジャスターン州ジャイプールのスラムにて2

ジャイプールにある、別のスラムに行く。学校に行く前の子どもたちをインタビュー。

高学年用と低学年用に分かれて、8:30〜9AMに2台のスクールバスが迎えにくる。
インドの公立学校は、2シフトに分かれている学校もあるそうだ。
朝7時から12時までと、12時から夕方5時まで。
2シフト制のところでは、学校に行く前や終わった後に働くこともできる。
分けられている理由は、女の子と男の子と分けるためだったり、
人数が多いからだったり。
その学校の事情によって、時間や分け方が決められているそうだ。
このあたりの学校では、給食(Free Meal)が出るようになってから、
学校にくる子どもたちが増えたらしい。
マノージュさんによると、貧しい家庭の親は、学校なんか役に立たないと
思っている人も多い。
そんなひまがあるなら、働いてお金をかせいだほうがいいと。
もしも学校で将来仕事ができるための技術の授業があれば、学校に行って
その技術を身に付けられるし、
そのあとすぐに仕事ができるから、親も行った方がいいと思うようになる…
という考えの元、
そのようなプログラムを学校の授業に盛り込むことが検討されているということだった。
BBAが運営するリハビリセンターでも、仕立て屋さんや大工、電気製品修理などの
技術の授業が行われていた。

スラムの家や建物は、みんな自分で作るみたいだけど、工事の人夫として働いている人も
たくさんいるので、そういう人に安く作ってもらったり、かわりに何かしてあげたり、
助け合って暮らしているそうだ。
スラムの人たちの主な職業は、リクシャ(人力車)の運転手や、掃除婦、メイドなど。

リクシャ(日本語の力車が語源)

田舎から出てきた人たちが、政府の土地に住み込んでスラムができていく。
マノージュさんの話では、政府はその人たちに家を提供する活動もしているのだけど、
そのもらった家を他の人に売ってお金をもらい、自分たちはまたスラムに戻ってきてしまうのだとか。それでスラムが減らずに広がっていくんだって。

フォーブスマガジンの発表によると、
世界のお金持ち10人のうち、4人がインド人。その4人の資産をあわせると、
10人のお金持ちの資産全部の51%?になるとか。
発展するインド、その一方で取り残されていく人たち。
すごいお金持ちとすごい貧しい人たち。
国が発展していくほどに、その格差が大きくなっている。

このあと、児童労働が行われていると言う刺繍工場に取材を試みようとしたけれど、やはりNG。
ジャイプールを離れてデリーに向かうことになった。
インドでは14歳以下の子どもが働くことは法律で禁止されている。
学校に行かず、監禁されるような状態で、働かされている子どもたちを
取材するのは、危険をおかして潜入取材するしかない。

 

ジャイプールからデリーへ
ジャイプールからバスで7〜8時間ぼこぼこゆられ、
デリーに着いたのは夜中の12時。翌朝は6:30集合。

 

ドライブインで
デリーへの道中、満開のからし菜の菜の花が広がる風景。
ドライブインで働く少年を見つけてインタビューすることになった。

カメラが回る前に、「学校に行ってる?」と聞くと、首をふり、「行ったことがない」と話していた。
アジットくん、12歳。

アジットくんは洗い場でお皿やお鍋を洗っていた。
カレーのこびりついたお鍋をコップの口でガリガリ。
家族とは一緒に住んでおらず、ここには2か月前にきたということだった。
「朝8時から夜8時までずっと働いている。」と話してくれていた途中、
店から人が出てきて、「なにやってるんだ」と言って、追い立てるように連れて行ってしまった。
14歳以下の子どもを働かせていることがわかったら、雇い主は罰金をはらわなければならない。
デリーなどの都会では特に、警察の取締りがきびしくなったため、
雇い主は子どもを隠したり、年齢をごまかしたり、家族として手伝ってもらっているだけだと
うそをついたりする。
田舎のほうではまだ警戒心がゆるいため、働く子どもを隠したりはしないけれど、
それでもいけないことはわかっているので、撮影されることには敏感なのだろう…
ということだった。
ボビーやインド人スタッフが店主に、男の子の話をもう少し聞かせてほしいとかけあっていたが、
だめだった。
けれども、店主はその後もその子を隠すわけでなく、はなれたところで仕事を続けさせていて、
今度は洗面器みたいなおわんに土を入れて運び、その土で厨房のコンロを修理する仕事をさせていた。
ただ、私たちが近寄って話をしたり、撮影するのはNGで、もう話も聞けずカメラも回せなかった。
私たちが運ばれてきたお茶を飲んでいる間じゅう、その子はずっと近くで働いていた。
せっかんなどの虐待を受けている様子はなく、その店主も、働かせているということ以外には、
その子に対していじわるな様子がなかったのが、せめてもの救いだったかもしれない。
この店主もカメラの前で聞いたら、「この子は息子で、手伝いをさせているだけだ」
と言ったかもしれない。

この子のことは、その後もずっと一番気がかりだった。
疲れた顔。休みなしに立ち働く様子。同じ年頃の子どもが見当たらない環境。家族とはなればなれ。
朝から夜まで働いている。学校に行ってないし行ったこともない。笑顔がなかった。
希望がないように感じた。
楽しみもなく、悲しそう。笑うことあるかな。
この子のことを気にかけてやさしいことばをかけてあげたり、抱きしめてあげたりしてくれる人、
だれかいるのかな…
って、今も気になっている。
日本に帰ってきてからの後日談だが、制作会社モーニングの石原さんが、
インドのNPO、BBAにこのときの映像を証拠として送ってくれて、
この子はレスキューの対象にしてもらえることになった。

 

2009年2月6日 Fri. デリー

市場の前の横断歩道の中州に、野良の牛が数頭立っていた。
目が合うとすごんで、前足で地面をほるような真似でこちらを威嚇する牛もいた。
インドではそこら中に牛がいるよって聞いていたけど、
確かに街中にもたくさん牛がいて、大きいのににらまれたらこわかった。
牛は一番大事な家畜だから、お乳が出なくなっても、畑で働けなくなっても、
殺さず食べず、でも面倒もみれなくて、街中に放されることが多いらしい。
誰かが餌をあげたりゴミあさったりしながら生きていて、街になじんでいるようだった。

 

ニューデリーのスラム
ゴミを拾う子どもたちを取材するため、ごみの山へ行く。
その道中にあるスラムにも立ち寄った。そこの子どもたちはたくさんいたけど、
ほとんどが学校に行っておらず、働いてもいないと話していた。
学校に行かず、働きもせず、あそんでいるだけ。
そういう子どもたちもいるということがわかったけど…
なぜ何もしていないんだろう。
このスラムの横に川が流れていたんだけど、ボビーが「これは川じゃなくて下水だよ」
っておしえてくれた。
えっ 結構りっぱな川に見えるけど…
川幅は10〜15Mくらい、水の流れもゆったりして、深さもそこそこありそうだった。
「全部下水ってことは、すごく汚いんじゃない?」って聞くと、
「そう、むちゃくちゃ汚いよ」って。

屋台のミシン家さんを営む一家の子どもが朝食を食べていたので、
見せてもらった。生のココナッツとチャパティとじゃがいもとお豆。
生のココナッツなんて食べたことなかったけど、実はおいしくて
インドの人はみんなよく食べるらしい。中の茶色い皮ごと食べるんだって。

路上でお土産の本を売っている女の子。たくましい。「学校なんか行かなくても英語も韓国語も中国語も日本語もしゃべれる」と言っていた。撮影していると、あっという間に人だかり。

スミタちゃん8才

 

ごみの山へ
そして、ゴミ拾いの仕事をする人たちをさがして、ごみの山を登った。
バングラデシュ、ダッカのごみ山でのインパクトが強くて、
お願いして連れてってもらったのだが、デリーのこのごみ山はダッカよりも
人が少なかった。
そしてごみの種類も違うように見えた。
ダッカでは、ごみの山というか海のようなごみのヘドロに
みんな足をつっこんでごみを拾っていたが、
ここのごみは乾いていて、においもダッカのごみ山ほどは臭くなかった。
(他のスタッフのみんなは臭いって言ってたけど)
でもゴミの山はゴミの山だから、うんちっぽいものもいっぱいある。
バイキンだってうじゃうじゃ。
こんなところ、普通の人はだれも寄り付かない。
ボビーがハンカチを口と鼻にあてていたら、カメラマンの小芝さんに
「そんなことしてたら撮影できないだろ。とって!」と言われていた。
そんな中、赤ちゃんをだっこしているお母さんがいて、家族でプラスチックの
ごみを集めて袋に入れていた。


近くのスラムに住んでいるらしい。袋の中のゴミを見せてくれたアンノワールくんは、学校に通っているよって言っていた。
でも、行ったり行かなかったり…。
「明日は行かせるよ」ってお父さん。

 

2009年2月7日 Sat. ニューデリー
屋台
屋台で働く子どもの取材ができると連絡があり、店に向かった。
道ばたの屋台では、店の主人と大きめの子どもが3人、チャパティをこねて
焼いていた。
香草がたっぷり入ったチャパティは、フライパンにのせて両面こんがり焼けて
いい匂いがした。
事前の話では、子どもたちは親と離れて暮らしていて、学校に行っておらず、
年齢は10歳から14歳ということだった。
が、インタビューを始めて、店の主人に、「皆さんはどこから来たのですか?」と聞くと、
ウッタルプラデーシュ洲という。
児童労働が行われていると聞いたじゅうたん製造工場地帯がある名前だったので、どきっとした。
「この人たちは息子さんですか?」と聞くと、「そう、息子たちだ」と言う。
話がちがう。
一番若そうな子どもに年を聞いたら、「17歳」と答える。
「17歳には見えない」というと、「背が高くないけど17歳だ」と。
「学校は?」と聞くと、「前に通っていた」とか、「今も行ってる」
とかそんなこと言う。うそをついている。
答えるのをいやそうにしていた。
「お母さんに会いたい?」って聞くと、「会いたい」って答えた。
その答えは、本当だったとしても悲しいことだと思った。
これ以上聞いても仕方がないので、インタビューはやめることにした。
父親と言うその主人が、指をこすりあわせて何かぶつぶつ言っていたので、
金よこせって言ってるように見えたけど、
お金を払う代わりに、小芝さんがチャパティを買ってくれた。
主人は不満そうだったけど…
そのチャパティは、香ばしくてとてもおいしかった。

ロケハンをしたインドスタッフの1人が、「なぜ撮影をやめてしまうんだ」と聞くので、
「屋台の店主は、子どもはみんな自分の息子で、年は17歳だと言ってる」
と言うと、
「いや、カメラの前だからうそをついているんだ。さっきは10歳とか言ってたのに」と怒っていた。
都合が悪いことを隠そうとする人たちはうそをつくし、子どもたちに笑顔はない。

こんな屋台の店がいっぱいあった。

 

まとめのために

インドは多民族・多宗教。いろいろな考え、いろいろな人たちがいる。暮らしぶりもいろいろ。
いい人もいれば悪い人もいる。お金持ちもいれば貧しい人も。世界の現状を凝縮しているみたい。
いろいろな事情があってフクザツ。
奴隷のように自由を奪われ、朝から晩まで働かされる子どもたち…
そんな状況では悲さんさがわかりやすいけれど、今回の取材では、そのような状況の子どもたちに
会うことは出来なかった。
それはあきらかに犯罪で、隠されているから。
働く子どもたちと言っても、いろいろなケースがある。
働いているからといって、必ずしも不幸とは限らない。
親のお手伝いを楽しくしている子たちもいる。
子どもたちの笑顔があるところは、明るく楽しい気持ち。ハッピーな気分を感じる。
子どもたちは正直でわかりやすい。楽しいと笑うし、悲しいと笑わない。
明るく話していた子でも、学校の話になったとたん、無言になる子がいる。
嫌なこと聞かれたら笑わない。希望がないと笑えない。笑顔がない子は、
幸せにくらしていないと感じる。
貧しい暮らしをしていても、笑っている子たちは幸せなんだろうと思う。
反対に、お金をもっていても、寂しい思いをしている子どもたちもいるかもしれない。
お金があろうがなかろうが、だれにも愛してもらえず、気にかけてもらえないと、
心は荒れるし傷つくし、寂しくて悲しい気持ちになるから。

貧しい生活でも、家族が仲良くて、親に愛されていることを知っている子どもは、
幸せと思えるのだと思う。
たとえインドの最貧困層といわれるスラムに住んでいても…。
子どもたちにはみんな、無邪気に笑っていてほしい。

ドライブインの男の子のこと、
家に帰って息子の顔を見たとたん、どーんと落ち込んでしまった。
私は息子に会えてとてもうれしかった。世話を焼くのもすごく楽しい。
でも、あの子には、こんな風に気遣ってくれる人いるのかな
楽しいと思うことあるかな
なにか希望をもつことができるかな
なんにもしてあげられなかった…
息子と同じくらいの年なのに、こんなに差があるなんて…
そのギャップを実感してショックで悲しかった。
あの子のお母さんはどうしてるんだろう。
そういう子を助けてあげたいとずっと思っていたのに、何も出来なかった自分…
さらに落ち込んでしまう。
あの子はこの先もずっとつらい思いをしながら一日中働いていくしかないのだろうか。
笑ってほしい。生きていてよかったと思える体験をしてほしい。そのために
私にできることがあれば、してあげたいって心から思う。
人口の多いインド。働く子どもの数も多い。ドライブインで働く男の子も多いと言う。
いったい私に何ができるだろう。
インドのドライブインにはあんな男の子がたくさんいると聞いた時、そんなことわかっているなら、
なぜひとりひとり助けてあげないの?とも思っていた。
なぜ今すぐに助けてあげられないんだろうって…
あの子に一時的なお金をあげたとしても、根本的な問題解決にはならない。
それにたくさんいるからきりがないかもしれない。
でも、たくさんいるから仕方ない、どうしようもないってことじゃないと思う。
だからこそ、きりをつけなきゃいけないし、ひとりでも多くの子どもたちが笑顔で暮らせるように
何か方法を考えていきたい。
仕方ないってあきらめているだけでは、ぬけだす方法もみつからない。
考えれば方法はあるってこと、気づくことができるように助けてあげられたらいいのに。
学校って、考える時間をもらえる場所だと思う。何がいいことで何が悪いことってこととか。
働くだけでは、考える時間もなく、お金を得ることが優先されてしまう。そして
そんな中で育った子どもは、善悪の区別がわからないまま大きくなるのではと心配になる。

あの子たちだって、ひとりひとり、悲しい思いをしたり寂しいって感じる心をそれぞれもっていて、
懸命に生きようとしている子どもたち。ひとつひとつが、だいじな命。
全ての子どもたちが笑顔で暮らせる世界をつくるために、
具体的にどうしたらいいか考えていきたいと心から思う。

 

番組最後のまとめ
もったいないばあさんのワールドレポート展では、
「子どもたちが働く理由の多くは「貧しさ」から。
そのために学校にいけない子どもたちもたくさんいます。
でも、学校に行かないと、読み書きができず、
大人になっても貧しさからぬけられません」
とお話ししています。
今回の取材中も、名前と年と学校に行っているかどうかをまず聞いていましたが、
インドでは
働いていても学校に通っている子、通っていない子、
一度も学校にいったことがない子、
行っていたけどいやでやめてしまった子など
、働く子どもたちの中にも
いろいろなケースがあることがわかりました。
必ずしも皆が学校に行きたいと思っているわけでもなく
学校に行ってないから不幸というわけではない…
話をきくうちに、単純な図式がみえなくなり、混乱してしまいました。
でも
学校は、ただ勉強するだけのところではなくて
、心とからだも育てる場所、
自分のことや将来のことを考えたりする時間がもてる場所でもあると思うし、
お金もうけの場所だけで生活していたら、
損得勘定でものを考える大人になるかもしれない。
働くことで一日終わってしまったら、そこからぬけだす方法を考える時間もないかもしれない。
子どもたちは地球の未来を作っていく人たちだから、
何がよくて、何が悪いか、
大切なことは何かを考えられる大人になってほしい。
…ということをお伝えできればと思いました。
取材した子どもたちの中には
、働いていても笑顔の子がたくさんいました。
お母さんのお手伝いで刺繍をしていた女の子は
、おうちの撮影に行ってもいい?と聞くと
喜んで連れていってくれて、お母さんといっしょに刺繍しているところを見せてくれました。
おうちのお手伝いするのがあたりまえ
ということ、
今の日本ではもうあたりまえではないように思えて、大事な何かを失っている気持ちにもなりました。
貧しくても働いていても
、「家族と楽しい時間があれば幸せ」と笑顔で語る子どもたちには、
幸せってなんだろうと考えさせらました。
その一方で
、自由のない状態で、機械のように働かされている深刻なケースもあります。
番組中、ドライブインで働いていた男の子は、
監禁や暴力はうけていないようだったけど、
朝から晩まで働いて疲れているように見えました。
笑顔がなかった。
このドライブインの男の子は、レスキューの対象に加えていただけるよう
インドのNGO・BBAの方にお願いすることになりました。
ほかのたくさんの子どもたちと共に、1日も早く、働くだけの生活からぬけだせることを
心から願っています。
いま地球で起きている問題はすべて、
命のことを第一に考えていたら、起きなかったことばかり。
自分らしく生きるために、夢に向かって努力できない状態でずっと働かされることも
命が大事にされていないということだと思います。

 

もったいないばあさんからのメッセージ
以下、番組の最後
 もったいないばあさんのメッセージはこんなでした。
「日本にも昔は、貧しい時代があったんじゃよ。
その頃は、物がなくても皆で分け合って
仲良く暮らしていた。
家族揃って笑顔で毎日を過ごせることが幸せだった。
今は、ものが豊かになったけど、
バラバラに暮らす家族が増えてしまったね。
都会に住んでいたら、となりに誰が住んでいるか知らない、人のことは関係ないって
思うことがあるかもしれないけど、
自分さえよければいいだなんて、それじゃなんだかさみしいじゃろう?
すべての子どもたちが笑顔で暮らせる町ができたらいいね。
そうすれば、誰もがその町に住むことを幸せに思うじゃろう…
そういう町が世界にひろがっていけばええんじゃよ。
自分さえよければと思わず、分け合う気持ちがあれば
平和な世界が必ずできる
。
どうすれば皆でしあわせに暮らせるかを考えて行こう。
できることをやらないなんて、もったいない!」

海外にボランティアに行ったり、寄付をしたり、
人のためを思う行動と助け合う気持ちは必要なことで
、できることならもちろんしたほうがいい。
でも
、まずは身近な自分の住む町を、子どもたちが安心して笑顔で暮らせるようにしたい…
そう思って行動することが大切なことなのでは…
そうすれば
、そこに住む人たちはみな幸せに思う
と思う。
そんな思いと行動が世界にひろがっていけばいいな
という願いがこめられたことばでした。

「地球の上の命はすべてつながっていて、ひとつひとつの命が 大切なんじゃよ」
命こそが何よりも一番大事なんだってこと
、メッセージとしてお伝えできるように
、
これからも努力を続けていきたいと思います。そして、できることを考えて実行していきます。

 

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今回ずっといっしょにロケをしたインドと日本のスタッフみなさん
ありがとう!

前列音声ふんちゃん、後列右から二人目がインドTVのディレクター・マノージュさん、通訳ボビー、モーニングのプロデューサー石原さん、私、インドスタッフのまとめ役ドナ、TVHのプロデューサー高梨さん、そしてその後ろにモーニングのディレクター工藤さんとAD杉野さん。

下の写真右端がカメラマン小芝さん


マノージュさんは小芝さんのカメラワークをすごいと絶賛していた。
小芝さんとふんちゃんには、TVでのインタビューの仕方を一からおしえていただき感謝してます。
日向の撮影でまぶしくて、目をしばたいていたら、「女優っていうのはなあ、瞬きしないんだ」
と言われ、「女優さんじゃないけど」と思いつつ、がんばって目を開けた。
でもナレーションの斉藤由貴さんにお会いした時、「まばたきしないんですか?」って伺ったら、
「しますよ(笑)」って。

インド24時間ニュースTV局のディレクター、マノージュさんは、ロケバスの中でインドの事情を
たくさんおしえてくれた。

相談中の3人組:制作会社モーニングのプロデューサー石原さんとTV北海道のプロデューサー高梨さんと。いつも実りあるトライアングルトーク。

インドでの撮影ができたことも、「もったいないばあさんと考えよう世界のこと」という番組が作れたことも、みなさんのおかげです。本当にありがとうございました。


インドのロケ弁

小芝さんの機材とただいま。おつかれさまでした!

2009年に放送されたTV番組の内容は、
DVD「もったいないばあさんと考えよう世界のこと」にも収録されています。
ぜひご覧になってください。

最後になりましたが、構成作家の新沼さん、とりとめのない話をまとめてくださり、
本当にありがとうございました。制作会社のモーニングの皆さんはじめ、
製作委員会の皆さん、TV北海道さんにも心からの感謝の気持ちを送ります。
ありがとうございました!

DVD 「もったいないばあさんと考えよう世界のこと」
文科省選定作品
もったいないばあさんと考えよう世界のこと製作委員会
お問い合わせは
、発売元の株式会社モーニングまで TEL 011-241-2220

書籍はこちらへ。

 

***Special Thanks to***

日本ユニセフ協会 /DVDと書籍「もったいないばあさんと考えよう世界のこと」に登場する世界の子どもたちの話は、ユニセフのHPで紹介されている実話を元に作成しました。また、収録写真とデータをご提供いただきました。

世界の子どもを児童労働から守るNGO ACE / 児童労働の撤廃と予防に取り組む国際協力NGO。インドのNGO BBAをご紹介いただきました。また、代表の岩槻さんには、児童労働の現状を詳しくおしえていただきました。

国際協力NGO シャプラニール/ バングラデシュのスラムの写真をご提供いただきました。

本当にありがとうございました。